みどりのこかげ - 30代初マタ&フルタイム共働き-

30代で初めての妊娠、フルタイム共働き、両実家遠方…。幸せな家庭と自分らしい働き方を望む30代女性の日常。

切迫早産で緊急入院 ③ ~入院中に考えたこと~

色んなことが頭に浮かんで、しばらく茫然としてたけど、段々と頭がまわるようになり、とりあえず夫に入院荷物として持ってきてほしいものを連絡。夫はまず家に帰ってから荷物をまとめ、病院にきてくれた。

病室にくると、点滴されてベッドでぐったりしている私*1に心配そうな視線をなげかけながら、荷物を置き、椅子を置き、横にきてくれた。

▼イメージ*2

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「ごめん、そんなに痛かったと思ってなくて…」

あまり深刻にとらえてなかったことを後悔してるように、重い口調で話す夫。この時色々胸がいっぱいになってなんて答えたかあまり覚えてないんだけど、そうじゃなくて赤ちゃんが苦しいんだよ、という話をしたと思う。でも余裕がなくてあまり話せなかったので、翌日、改めてこう話した。

「お腹に異変があるとき、私があまり苦しくなくても、赤ちゃんはとっても苦しいかもしれないの。私があまり痛くなくても、赤ちゃんはとっっても痛いかもしれないの。私が我儘でお腹がおかしいとか痛いとか言ってるんじゃなくて、私しか気付いてあげられないから、早く気付いて気を付けてあげないとダメなの。」

これは本当にそうで、妊婦本人は痛みがなく多少の違和感があるだけ、もしくは痛みも違和感もないけど胎動が少ない/無い場合、赤ちゃんはとんでもない緊急事態になってる事があるらしい。私も妊娠前は知らなかったけれど、友人の経験談や色々な方の話を聞いたり、調べたらするうちに知った。だからこそ、少しでも違和感があれば、病院に電話して相談するか、予約なくても受診すべきなのだ。

「そうだね…わかった。」

言葉は少ないけど、夫なりに意味を咀嚼して、理解しようとしてくれたみたいだった。

夫は面会時間ギリギリまで居てくれ、明日も明後日も、来てくれることになった。また明日ね、と物寂しい気持ちを持ちつつ夫と別れると、間もなく病院は消灯時間を迎え、私は枕もとの電気をつけてぼーっと考えた。

普段なら逆境もジョークにしてツイッターをしたりもしたけど*3、これからのことが不安すぎて、全くそんな気にはならなかった。そもそも誰かと話す気になれず、ツイッターもLINEも開けなかった。複数の友人が入ってるトークルームの未読バッジがどんどん増え、どうやらジョークが飛び交い盛り上がっていたけど、そこへ入っていくことはもちろん出来ず、また、どうなるかわからない自分の状況を報告する気にもならなかった。私はスマホに置いたまま、しばらく触れるのも出来なかった。

静かな病室の中で、色々なモヤモヤが頭に浮かんできた。

まさか自分が切迫早産になるとは。昨日の夜お腹の違和感感じる直前まで、「Want to do リスト」を考えていた自分が滑稽に思えた。あと一週間で産休で、それまでもうひと踏ん張りだと思って頑張ってきたのに。友人からは、マタニティライフ楽しんでね、産休はちょっとしたご褒美だよと声をかけてもらったり、ネットでも楽しそうな過ごし方を沢山見ては、ゆったりした時間を楽しみにしていた。仕事が好きとはいえ、身体の負担も日に日にキツくなるなか、ギリギリまでタスクもあって、残業もして、頑張ってたつもりだった。あと少しでご褒美で、解放感を得られると思っていたのに。頑張った挙句、ご褒美を取り上げられるなんて。それだけならまだいい、赤ちゃんへのリスクを考えると、気が気でなかった。。。極端なことも頭をかすめた。スマホを手に取り、早産で未熟児を出産した人や、臨月直前で”ダメ”(赤ちゃんの心臓が止まってしまうような状態を言葉に表現することすら怖かった)になってしまった人のブログやネット記事を読む。自分と兆候がどれくらい似てるかとか、原因がなんだったかとか、気になって仕方なかった。きっと大丈夫と信じる一方で、何とも言い難い恐怖心が併存していた。赤ちゃんが第一だから、無事に出産さえできればWant to doリストなんてどうでも良い。。これからどうなるんだろう、と漠然と思った。深夜まで起きていた気がしたけど、いつの間にか眠っていた。それでも、4時、5時と度々朝方目が覚めた。

 

入院2日目。

点滴につながれながら、ひたすら横になり、読みかけたままになっていた本を読んでいた。夫が差し入れてくれた本。テレビもあったのだけど、観たい番組も無く、ひたすら本を読む、休む、読む、休むと繰り返していた。3度の食事は病院食らしい病院食で、あまり食欲をそそるものでもなかったけれど、それでも気分転換の時間にはなっていた。点滴をつけながら、張り気味のお腹の身体を起こして食べるのもなかなか一苦労。そして薬の副作用のため、少し体が火照り微熱も出て、手は震えていた。お椀を持つ手も、お箸を持つ手も両方震えていて、自分がかなり高齢のおばあちゃんになった気分だった。一般的な副作用であって、且つ病院の管理下なので問題はないと頭では分かっていても、赤ちゃんは大丈夫だろうかと不安と申し訳ない気持ちになった。これまで多少体調がよくなくても、妊婦用の副作用のない薬ですらなるべく飲まないように耐えてきたのに、ここにきてこうなってしまうとは。。。でも、今は仕方ない、最悪の事態となるよりは遥かに良い。食器やトレーは食べ終わると返却台に置くことになっていたけど、ベッドから降りること自体がとても大変で、係の方が「取りに来るのでそのままでいいですよ」と言ってくださった。

この日の夜も、夫は仕事を早めに終えて、遠い道のりを会いに来てくれた。追加の差し入れで、追加の本や手帳など暇つぶしグッズと、麦茶やノンカフェインの飲み物、夫の手作りスープ、私の好きないちごやバニラヨーグルト、ぶどう、急に食べたくなってお願いした"たくあん"(笑)、牛乳プリンなどを携えて。やっぱり優しい人だなぁと思った。また、夫は私が退院出来る日に備えて色々調べてくれいて、社会福祉系団体がサービスで行なっている車椅子の貸出サービスを見つけてきてくれていた。これに乗って帰れば安心、いざ里帰りの際も使えるだろう、という事だった。

昨日話した「妊婦が一見大変な事態に見えなくても、赤ちゃんは苦しんでいるかもしれない、だからこそ私たちが気を付けないといけない」というのを、しっかりと受け止めて理解してくれ、そして私の身も親身に考えてくれているのが十分に伝わってきた。夫はベッドの横に座り、手を握って寄り添ってくれた。私はこれまで健康体で、今回の入院が人生で初めてだからこそ余計にとても不安だったけど、夫と一緒なら乗り越えていける気がした。

その後、先生*4や看護師さんに今後のこと色々尋ねたり、早めの退院を希望した事も考慮してもらえたのか、またNSTや血圧、内診などの検査の結果も想定の範囲内だったからか、先生から今後の方針について話があった。

「3日目には点滴を外して飲み薬に切り替え、張り戻しがないか(落ち着くか)確認。4日目に内診をして、良ければ退院としましょう」

それを聞いて少しホッとした。目の前が少し明るくなるような気持ちだった。もちろん退院したとしても、自宅安静で仕事も禁止。そこからマタニティライフが満喫出来るわけでもなく家にいる事しか出来ないし、24時間何かあったら相談出来る入院時と違って不安も増える。でも、自宅で済むなら自宅の方が良いし、夫と離れるのは寂しかった。毎日仕事終わりに来てもらうのも負担だろう。それに現実的な話をすると、民間の保険に入っておらず、費用もいくら掛かるのか不安だった…。

 

入院3日目。

点滴を外してもらえた。何とも言えない解放感…!!!トイレも行きやすい!!!(これまで点滴のセットも一緒にトイレで、なかなか苦労していた…)。ただし、また再開するかもしれないので、針と管は腕にサポーターで着けたまま。一見針は見えないけれど、自分の腕に針が刺さったままと思うと、とても不思議な感じがした。お腹ちゃん、どうか張ったりしないでね、と優しくなでた。日中、多少の張りを感じて少し焦ったけれど、周期的なものでもなく、自分の感覚でもかなり「普通」になってきた気がしていた。ただ、副作用と思われる微熱は続いていて、薬が早く抜けてほしいと思った。夫はこの日も来てくれて、明日退院できるかもしれないことを、二人でそうなるといいねと話しあった。ただ、自宅に帰れたとしても、元々予定であったGWの二人そろっての帰省は難しいねとも。いっそ私も里帰りしてしまう方がいいのか、様子見だねと話した。明日の内診に備えて、この日もとにかく動かないように安静に安静に過ごした。

 

*1:気持ち悪いとか吐き気とかがあったわけではなかったけど、お腹が張って辛かったのと、気持ち的に相当ショックを受けて元気が全くなかった

*2:画像は拾いものです

*3:妊娠をきっかけにツイッターを始め、妊婦の方々と繋がって日常を呟いたり情報共有したり、時に励ましあったりでとてもハマっていた

*4:入院中は、外来の時の先生とは異なる先生が担当だった